前回の記事、「母のつぎはぎ手袋」の反響が良かったことに少し驚きました。
きっと、
「もう捨てなさいよー」
「さすがにゴミでしょう〜」
なんて笑われるかと思いましたが、(当時、私は笑ってました。)

とても器用で、何より物を大切にされるお気持ちが伝わってきます

大切に使う、使い切るってこういうことだなって自分の行動を見直したくなりました。

思い出と重なると処分できないその気持ち、わかってしまう〜
みなさん、お優しい〜
母は、自分は器用だとか、大切に使っているとか、思い出と重なるとか
そういう感情に気づいていないんじゃないかな。
全て「あたりまえ」だと思っているから。
戦後、子供のしつけに容赦なく厳しかった時代、「やって当たり前」という時代に生き、本家の長女でしたから
親に褒められたことがない。
だから、私自身もほとんど褒められてこなかった気がします。
母75歳、大荷物を抱えて自転車で隣町までアートの教室に通っています。
亭主関白の父は、そんな母に「俺をタクシーだと思うな」と言い放ち、母の趣味のためになど、車を出してあげることはしません。(今は、父はもう運転も出来ないほど弱っていますが。)
厳格な父のおかげで、母はタフなんですけどね。きっと、私よりも足腰強いですよ。
私など、ほとんど車で恥ずかしい…(パーマカルチャリストとして、これはいかんです!)
実を言うと、私たちが7年ぶりに帰国する前、つまり7年前までは、
実家に帰っても居心地が悪く、母のおせっかいにイライラすることもありました。
7年の「会うことが不可能」な時を経て、お互いが優しくなれたんですよね。(年を取っただけ?)
ニュージーランドがコロナで鎖国をして、その後もワクチン検査などで日本に来れなかった間に、
もしかしたら、両親と2度と会えない…かも…という気持ちにもなりました。
そんな予期していないことが、突然身に降りかかるのです。
だから、「行動しない後悔」はしたくないものです。
そうそう、ブログ記事のダンボールの荷物が散財した私たちの寝床ですが、、、

Before

After
なんとか寝られるぐらいの場所は確保しました〜