働き方に悩む50代主婦がパーマカルチャーを伝える理由 | ニュージーランドで遊暮働学はじめました。

「働き方に悩む50代主婦」パーマカルチャーを伝える理由

1章 家庭を守る私が抱えた違和感

忙しかった子育ても一段落して、子供たちは学校へ、夫は仕事へと出かけていく。

私は家庭を守る専業主婦。
夫はニュージーランド人で、娘たちは高校生と小学生の2人。

自然豊かなニュージーランドで、ひとりの時間を至福に感じながら、ガーデニングを楽しむのが私の日常。子育ての代わりに、野菜や花のお世話をしながら、自分自身と向き合う時間が増えた。

英語で話す自分と日本語で考える自分、キャラクターの違う2人の私が混在している。
文化の違う外国暮らしで、自分が何者か分からなくなっていたと思う。

英語が全くできないわけではない…むしろ、英語のスキルは成長しているはず。だけど、ある程度改善すると、また悩む言語の壁。真意が伝わらない。話すことに疲れてしまう。

I know what you mean.(あなたの言いたいことは分かったわ)

皆んなは私の気持ちを汲んでくれるけど、私の真意は伝わっていない。

「まぁいいか…」英語に対して、全然自信が持てなかった。

「自分の言いたいこと…?」自分を主張することもない。私は、典型的な日本人。

昔から、「言わない」ことで場を和ませることが得意だった。

2章「私も仕事をしたほうがいいのかな?」

海外のママたちは、自分の考えをしっかり持っていて、専業主婦で家庭を守るという考え方は珍しい。まだ、ほんの1歳未満の赤ちゃんでも、デイケアに預けて仕事復帰をしている。

出産、育児を経験して、よりパワフルになったママたちは、その経験を活かして新たなキャリアを目指し、学校に通う人も多いです。

2020年、世界中が混乱したコロナ禍で指揮を執った、当時のニュージーランドの女性首相だったジェシンダ・アーダーンは、産後わずか6週間で仕事に復帰しました。彼女の夫は仕事を辞め、育児と家庭を支える専業主夫に専念。現役の女性首相が産休を取ったのは、世界で初めてのことでした。
子育てに対する支援が充実しているニュージーランドは、ママが安心して社会復帰できる環境が整っていて、産後の社会復帰は、一般的になっています。

「やっぱり、私も専業主婦を卒業して社会復帰をするべきだろうか?」
庭の雑草と格闘しながら、そんなことを思うことが多くなりました。

3章 子どもと過ごす時間、そして未来の不安

だけど、子どもたちが学校から安心して家に帰れるのは、ママが家にいてくれるからです。
単純に、子どもはママのことが大好きなのです。

子どもたちと一緒に遊び、日々の成長を感じたり、友達のママに可愛がってもらったり、日中の学校行事に参加できるのも専業主婦だからこそできること。

専業主婦の何気ない日常が、地域の安全や活性化につながっています。もし専業主婦がいなくなったら、地域の子どもたちの笑い声も消えてしまうでしょう。

子どもは成長すれば、やがて私の手を離れていく。あどけない笑顔が見られる時間は、すぐに過ぎ去ってしまう。だからこそ、その貴重な時間を大切にしたい。

今は夫が家族のために働いてくれているおかげで、生活に困ることはない。とはいえ、心は揺れる。もしも突然、夫が働けなくなったら?年老いて英語も スキルもない私に何ができるだろう?
今の生活に不満はないけど、海外暮らしの将来に漠然とした不安がありました。

「好きなことで働いてみたら?」と夫はアドバイスをしてくれました。けれど、私に何ができるだろう…

4章「庭仕事から始まった新しい扉」パーマカルチャー

ニュージーランドで始めたガーデニングは、みんなに羨ましがられるほど、立派な野菜がたくさん収穫できるようになっていました。

「どうやって育ててるの?教えて!」と聞かれることもありました。

でも実際は、手間もお金もかかります。「買った方が早いかも」と思うこともありました。

「どうしたら、もっと楽にガーデニングができるだろう?」

そんなときに出会ったのが、パーマカルチャーという考え方。ニュージーランドではよく耳にしますが、その頃の私は「雑草だらけの自然農みたいなもの」と思っていました。

調べるうちに、お隣オーストラリアで生まれた考え方だと知りました。パーマカルチャーは、持続可能な農業を追求した、教師ビル・モリソンと教え子デビッド・ホルムグレンが提唱したものです。当時はコロナ禍で国境が閉ざされていましたが、「オンライン学習」という新しい方法が広がっていました。

「せっかくなら、創設者の講座を受けてみよう!」オンラインなら私の英語力でも理解できそうです。国を超えて、オーストラリアの『Milkwood』パーマカルチャーオンライン講座に申し込みました。

私の新しい扉が開いた瞬間でした。

「地球に優しく」「人に優しく」「分かち合う」

「多様な命が助け合って生きている」

「すべてが循環して土に還る暮らしをする」

そんな理念や実践の知恵に触れ、「私もこんな暮らしがしたい」とワクワクしました。

特に感銘を受けたのは、

「自分をまず幸せに満たすこと」
「自分が幸せでなければ、人に優しくできない」

という言葉です。家族を優先するのが当たり前だと思っていた私に、「自分を大切にしてもいい」と教えてくれました。

そして講座の最後の課題は、「学んだら行動する」「学びを人に伝える」でした。

「ただの 専業主婦の私に、そんなことができるかなぁ…」

でも、主婦だからこそできることがあるかもしれない。
娘たちの未来のために、地球の未来のために、私は一歩踏み出すことを決めました。

5章 パーマカルチャーがくれた私の挑戦

「さて、これからどうやってパーマカルチャーを伝えよう?」

私は「パーマカルチャーを伝える手段」として動画編集を学んでいました。長時間のPC作業で外に出る余裕もなく、庭は荒れ放題。 「私は何をやってるんだろう…」と落ち込むこともありました。

そんな時に、ガーデングループに参加していた私にチャンスが訪れました。
「Can you talk about Permaculture to Japanese high school students?」
「日本人高校生たちがニュージーランドにくるから、パーマカルチャーを話してみない?」

私はもともと口下手で、人前で話すのは大の苦手です。
子供の頃は、前に出るだけで顔は真っ赤、涙はポロポロ、心臓はバクバク。

今までの私なら、「絶対ムリです!」と即答していたでしょう。私はただの専業主婦なんです。

でも、この時は違いました。

「これは、パーマカルチャリスト(パーマカルチャーをする人のこと)を目指す私に下された使命なんだ!」

私は、不思議と人生のタイミングに動かされることがあります。普段は眠っている神経が、この時ばかりはビビっと反応するのです。

「日本語で話せるなら、娘に教えるみたいなものだし、できるかもしれない。」

まずは、高校生にも分かりやすい資料を作る必要があります。この時に、動画編集で磨いたスキルが役に立ちました。口下手な私が「動画ならパーマカルチャーを伝えられるかも」と始めたスキルがやっと実を結びました。

普通の主婦である私のスピーチは、大盛況に終わりました。その成功体験が、私に自信をくれたと同時に、新たな挑戦が始まりました。

6章 失われた風景、守りたい未来

発端は、長女の「学校がつまらない」「ホームスクールがしたい」という何気ない言葉でした。

コロナ禍での長いステイホーム、その後の先生のストライキもあって、子供も先生も混乱が続いていました。

私にとって
「学校は義務」「つまらなくても通うのが当たり前」だと思っていました。
けれど
、パーマカルチャーを学ぶうちに、「今までの常識が非常識だったのかもしれない」と少しずつ考え方が変わっていました。

「未来を変えるなら、今までと違う選択をすることだ。」そんな言葉に背中を押されました。

「娘のやりたいことをやらせてみてもいいかもしれない。」

調べると、ニュージーランドのオンラインスクールなら、今までは難しいと思っていた長期の日本滞在が可能になると知りました。

前回の日本帰国からは7年が過ぎていました。特に次女は当時まだ2歳で、日本のことをほとんど覚えていません。
日本人の血が流れる娘たちに、自分たちのルーツを見せたい。四季折々の風景を感じさせたい。そして何よりも、年老いた私の両親に可愛い孫の姿を見せたいという思いが強くなっていました。
いま行動しなければ、また国境が閉じてしまうかもしれない…そんな不安もありました。
「後悔はしたくない」「今やらなければならない」そんな気持ちが次第に強くなっていました。

そして、夫は仕事を辞め、私は「PC1つでどこでも仕事ができる」生活を目指して、日本行きを実行しました。

〜〜〜〜〜〜✈️ 

これから、家族で1年間ゆっくりと日本縦断をする。私も子供たちも、胸を躍らせていました。

車で各地を巡り、目の前に広がる自然や田んぼの風景は、子供時代の懐かしい記憶を呼び起こしました。先祖代々受け継がれてきた日本人としての血や、私の中に流れる心のつながりを感じました。

しかし、ショックな場面もたくさんありました。
津波被害を防ぐための高い堤防、海辺に広がるプラスチックごみ、山を削ったトンネル、メガソーラーパネル…人間のエゴによる自然破壊を目の当たりにしました。

「どうしてこんなふうになってしまったんだろう。」

娘たちに見せたかった美しい日本が、開発とゴミに埋もれていました。「ずっと前から自然は警告を発していたのに、私たちは無視してきたんだ。」娘たちに申し訳ない。地球にも申し訳ないという、やるせない気持ちがこみ上げました。

「解決策なんてあるのだろうか…」目の前の現実から目をそらしたくなりました。けれど、知ってしまった今は、もう見て見ぬふりはできません。

そのとき、パーマカルチャーで学んだ「問題こそが解決策だ」という言葉を思いました。
諦めなければ、きっと解決策は見つかるはずです。

「地球に優しく、人に優しく、分かち合う」という思想を忘れずに、私は自分の経験と学びを発信しながら、解決策を探していこうと決めました。

まずは、自分にできることから始めてみる。自分の周りの環境を整え、学びを共有する。
それを楽しく続けることが、自分にとっても、みんなにとっても持続可能な暮らしにつながる。

パーマカルチャーは、私たちにそのヒントを与えてくれます。

7章 1年の旅を終えて見えたもの

1年の旅を終え、ニュージーランドの我が家に戻ると、まるで夢から覚めて現実に引き戻されるような感覚を覚えました。日本に滞在していた間は日本語を話しながら、私がニュージーランドに暮らしていることのほうが、不思議で仕方がありませんでした。

歳のせいでしょうか。こんなセンチメンタルな気持ちになるのは。

帰国のふわふわした感覚から現実に戻り、足元がしっかりと大地を踏みしめる。これまでよりも、自分の意思でしっかりと歩いている感触を感じます。言語や文化、環境が変わっても自信を持って自分の思いを伝えられるようになりました。

驚いたことに、家族で1年間の日本縦断を決断した私たちのことを、変な目で見る人はおらず、むしろ歓迎してくれる人たちばかりでした。

行動することに不安もありましたが、「好きなこと」に挑戦して、理想を追い求めるだけではなく、実際の経験から得られる安心感を感じられました。

行動すれば、未来は変わる。想像したベストタイミングは、待っていてもやってきません。

娘たちはそれぞれ元の学校に戻り、ありふれた日常に戻りました。「学校に行きたくない」と言っていた娘も、夢のホームスクールだった自主学習の大変さを身をもって知り、学校で先生が教えてくれる環境に感謝して、毎日学校に通っています。

もちろん、旅をすることでお金は大きくかかったけれど、その経験はお金では買えない資産です。きっと、私たち家族がこれから迎えるさまざまな選択の場面で、大きな力になるでしょう。

8章 一緒にパーマカルチャー/遊暮働学を始めませんか?

一時期は、オンラインで働けるようになろうと必死でスキルを身につけました。日本にいる老いた両親との時間を大切にしたいという思いもありました。

「パソコン1つでどこでも働ける」その考えは、今でもとても魅力的です。
でも、効率や収入を最優先にするビジネス社会に、いつしか疑問を持つようになりました。

やっぱり私は、パーマカルチャーを伝えたい。
自然に寄り添い、自分が心から楽しいと思える暮らしがしたい。そう思いました。

遠回りした時間も、今では大切な学びだと思っています。
失敗なんてひとつもありません。

これからの私の挑戦は、パーマカルチャーを軸に、常識にとらわれない「自分らしさ」を発信し、家族や仲間と学びを共有しながら、楽しく暮らせる仕組みをつくることです。

その思いを込めて、私たち家族の頭文字から【JEEM】という屋号をつけました。

そしてもうひとつ、日本で感じた違和感。物があふれ、簡単にゴミになってしまう社会のあり方にも問いを投げかけたい。
「それって本当に必要?」捨てる前に、買う前に、もう一度考える。そんな視点を広げていきたいと思っています。

私たちがニュージーランドに戻るタイミングで、これからの自分の道を迷わず進むために、同じ志を持つ仲間と学べる「ライフワークを本業にする仕事の自給講座」に身を置きました。

「遊ぶ、暮らす、働く、学ぶ」

この循環を大切にしながら、ニュージーランドで遊暮働学をはじめます!

ニュージーランド発 【JEEM】
パーマカルチャー クリエーター
マーシャルまりこ


このブログでは、ニュージーランドと日本をつなぎ、パーマカルチャーを軸に自然と調和した暮らしのヒントや気づきを発信しています。

メルマガ無料講座では、オーストラリア発祥のパーマカルチャーを、ニュージーランドに暮らす私の視点で、日本人の暮らしに合う形でわかりやすくお届けしています。

もし私のストーリーを読んで、

「ニュージーランドの知恵を暮らしに取り入れたい」
「常識にとらわれず、自分らしい暮らしを選びたい」
「ゴミ問題が気になるけれど、どうしたらいいかわからない」

そんなふうに感じた方がいたら、ぜひ私のメルマガを登録してみてくださいね!

パーマカルチャーが私の常識を変えてくれたように、
その小さな一歩が、きっとあなたの新しい物語の始まりになると信じています。

私と一緒に、あなたの夢を叶えませんか?