ニュージーランドから「遊・暮・働・学」を共有します、パーマカルチャリストのまりこです!
今年2026年に入ってから、父の容態が悪く、度々このブログでもお話ししてきました。
いよいよ、その時が来てしまいました。
もう一度、私は日本に帰国します。おそらく、父に会えるのは最後になると思います。
ここまでに至った経過を書き残しておこうと思います。
始まりは整骨院
ことの始まりは、父が歩けなくなり、整骨院での診断の結果、「病院で診てもらった方がいい」と言われたことからでした。
しかし、いろいろと検査をするうちに、あれよあれよという間に悪いところが見つかりました。
腎臓の機能障害、大腸がんステージ1、そして結腸の詰まり……。その数ヶ月前には、緑内障で両目の手術を終えたばかり。10年前からは、心不全も度々発症していました。
もちろん、1度の手術ですべてを取りきることはできないため、1回目は大腸がんと腎臓の一部を摘出。そして、体力の回復を待ってから結腸の詰まりを切除してつなげる、という治療方針になりました。
そして、医師に言われたのは、
「手術をしますが、それでも足は治りません。」
ということでした。
手術後の父の後悔
1回目の手術は、私が日本からNZに戻ってきた直後に施行されました。
手術は予定通り無事に終わり、退院。歩くことが困難だった父のために、介護用ベッドがリビングルームに置かれました。
手術が無事に終わったとはいえ、80歳を過ぎた体には術後の回復に時間がかかりそうでした。それでも「エクササイズだ」と言いながら、赤ちゃんのように這いつくばり、ゆっくりと階段を上がっている状態でした。
「階段なんて危なすぎる」と私は心配でしたが、外に出ることはもっと難しい。もともと運動が大好きだった父は、階段の上り下りで体力の回復に努めていたようでした。
「後悔、先に立たずだな。」
手術直前に、私が自然療法の話を伝えたことで、父も母も少し迷いながら手術に臨みました。
そして術後の苦痛と向き合う中で、父は少し後悔したようでした。
しかし、その1ヶ月後、2回目の手術を受けたというのです。
私は「なんで?」という気持ちでしかありませんでした。
というのも、1週間前に電話で話をしたときには、「回復を待ってから」と聞いていたからです。
あまりに早い展開に、驚きと不安がよぎりました。
父の術後の経過
2回目の手術はS字結腸の切除。もしかしたら人工肛門も「ありうる」、そして経過次第では人工透析に「なるかもしれない」と、私は後になって母から告げられました。
「私を心配して言わなかった」という思いもあったのでしょう。だけど私は思うのです。
「医師の言うことを疑わず、受け身で聞いていたからではないのか?」と。
これまで経験したことのないことが我が身に降りかかるとき、判断することはとても難しいものです。
「手術後3日で流動食が始まり、その後、お粥を自分で食べられるようになる」
そして、2週間後には退院。当初はそんな治療方針でした。
だけど、現実は違いました。
自力で流動食を飲み込むことができず、口にチューブを差し込み、マスキングテープで顔に固定。
直接食べ物を胃に流し込み、体力を回復させるというものでした。
こうして文字で書けば、ただそれだけのこと。
しかし、実際の苦痛は壮絶です。
父が不快感から暴れるため、ベッドに手足を縛られ、大きな手袋をはめられました。病院側から見れば、ベッドからの落下防止や、患者が誤って器具を抜くことで生命に関わるのを防ぐためです。
しかし、ニュージーランドでは現在、このような方法は極力避けるのだそうです。特に高齢者の場合は、体力を奪うことを避けたいという考え方があります。そして何より、「人間的な尊厳(ヒューマンライツ)」を考えてのことです。
また、老人ホームでは、「食べ物を自力で飲み込めなくなったら最期」と捉えられることもあるようです。
再び日本へ
これからは治療ではなく、父の緩和ケアに移行します。
「家族や親戚、会いたい人に知らせてください」と医師から告げられました。
実は少し前に、格安航空券が発売され、それを保持していました。
しかし出発は5月末。それでは父の最期に間に合わないと思います。
私も慌てて直近の片道航空券を購入しましたが、動揺からか入力や操作を間違えてしまい、返金手続きやチャットサポートを利用することになり、かなり時間がかかってしまいました。それでも、ようやく購入できました。
今取り掛かっている仕事も一旦ストップです。
日本で様子を見ながら、少しずつできることをやろうと思っています。
こういう時のために、オンラインで仕事ができるように、これまで取り組んできました。
いよいよ、二拠点生活の始まりです。

