パーマカルチャーとの出会いはコロナ禍
私がパーマカルチャーに出会ったのは、2020年のコロナ禍。世界中がパニックに陥った頃でした。
海外で猛威を振るっていたコロナウィルス。正月休みが明けて、海外旅行や家族の元に帰省していたニュージーランド国民が戻ってくると同時に、コロナウィルスも上陸。
その4日後。
私たちは昼間、子供達とお母さんたちとピクニックをしながら、「とうとうアレが入ってきたね。」なんて話していました。
その日の夜でした。
その夜のニュースでニュージーランド政府は、1夜にして学校閉鎖、仕事も休み「ステイホーム」と決定し、医療従事者やスーパーで働く人を除く国民のほとんどが自宅待機を強いられました。
海外旅行しているニュージーランド人や、全国を旅行している人たちには、
自宅に戻る様に説明され、
自宅に戻る様に説明され、
「今、あなたが居るところが、これから1ヶ月間住むところです。越境もできません。国交も閉ざされます。」
との通達でした。
留学生はパニックです。学校のためにNZに残るか、家族の元に戻るために帰国するかの選択は、
もしかしたら2度とニュージーランドに戻れないかもという不安がありました。
同じ屋根の下に住んでいる自分と家族は、通称 バブル(シャボン玉の泡)と呼ばれました。
基本的にバブル以外の人とは、接触してはなりません。
「こんなことってあるんだ」今までの人生の常識や価値観を根本的に覆す出来事でした。
世界中で、原因不明のウィルスに翻弄され大混乱。
「ウィルスをばら撒いたのは誰だ?」と意味のない罪の投げ合いが始まり、
人を人とも思わないような「病原菌」扱いもありました。
一方、いち早くステイホームを決めたニュージーランドは、
当時の若い女性首相 ジャシンダ・アーダーン Jacinda Ardernの聡明な説明能力と、
いつでも絶やさない笑顔のおかげで国民は一致団結し、
私たちがステイホームを余儀されている間も働いている医療従事者やライフラインを守っている労働者に感謝する毎日でした。
そんな世の中が混沌とした時期に
運命的な出会いがありました。
自然農とパーマカルチャー
「耕さない 雑草を抜かない 肥料を与えない」
日本農法家 福岡正信氏が提唱する自然農という、自然の力に任せた農法をYouTubeで知りました。
「ニュージーランドでは『パーマカルチャー』と呼ばれるものじゃないかな?」
当時の私は、パーマカルチャーを自然農だと思っていました。
「耕さなくても、雑草を抜かなくても、肥料を与えなくても野菜が育つなら、試さないわけにはいかない!」
これがきっかけで、私はパーマカルチャーに引き込まれていきました。
海外のパーマカルチャー界隈でも有名な福岡正信氏「わら一本の革命」
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